数学的ひらめきはみんなのもの。数学は選ばれた天才のための教科ではない!

皆さん、高校数学の問題を解くにはどのような能力が必要だと思いますか?
一言で言ってしまうと、数学にはひらめき!が必要です。
今回はそんな「ひらめき」の正体と、どうしたら「ひらめき」が手に入るのか、詳しく説明していこうと思います。
数学が苦手な生徒のマズイ思考パターン
ひらめきさえすれば解けるのですが、ひらめかないから諦めてしまう。
または、だんだん問題が難しくなってくると、だんだんひらめかなくなってしまい、
「私には数学の才能がないんだぁ~」
「オレの脳みそは数学に向いてな~い!」
「文系人間だからムリっ!」
となり、数学が苦手になっていく・・・。
数学の苦手な生徒から話を聞くと、このようなパターンが多いです。
「うん、うん」「そう、そう」とうなずいているキミ!
これは、トンデモない勘違いですよ!
-01-1.jpg)
「ひらめき=才能」という大きな勘違い
何が勘違いなのか?
数学が苦手な生徒の多くは、ひらめきというものに対して、次のような勘違いしています。
「私には数学の才能がないんだぁ~」
・・・いえいえ、ひらめき!に才能は必要ありません。
「オレの脳みそは数学に向いてな~い!」
・・・いえいえ、ひらめき!に向き不向きはあまり関係がありません。
「文系人間だからムリっ!」
・・・いえいえ、文系人間でもひらめく!ことはできるようになります。
つまり、ひらめき!の正体を知り、ひらめき!の訓練をすれば、誰でもひらめく!ことができるようになり、やがては「数学が苦手な生徒から脱出」できるのです。
さらにひらめくことができるようになると、今は数学が苦手で嫌いでも、問題を解くのが楽しくなってしまう!・・・かもしれません。(個人差があります)
ひらめきを言語化してみると…
-02-1-e1571919106292.jpg)
数学のひらめき!とは何なのでしょう?
ひらめき!を見たことある人いますか?
…いませんよね。
ひらめき!には実体がないですから、見たことある人がいるはずありません。
しかし、数学の問題を解いてひらめいた人を見たり、実際にひらめいたことがある人もたくさんいると思います。
そんなとき、脳裏によぎるのは・・・
あの人、天才…
私、天才かも・・・
あの人、数学の鬼やん…
俺って数学の神!
・・・はい、これが勘違いの正体です。
さらに、一般的に数学ができる人って天才肌な感じがしますよね。そして数学が得意な生徒たちは、
「問題読めば、答えまでの道筋がみえるじゃん!」
「図形は直感でわかるよ」
こんなことを言い出します。
そのため、高校数学の問題を解くには何もないところから何かを生み出す「発想力」「アイデア」などが必要で、それをひらめきと思っている(勘違いしている)生徒が多いのです。
そして、
『数学は(無から何かを創出する)ひらめき!を連発できる選ばれし天才・神・鬼のための科目である!』などと、勘違いしてしまっているのです。
何もないところから閃きは生まれない
けれども、冷静に考えてみてください。
神でもあるまいし、何もないところから何かを作り出せる人間なんて存在しませんよね。
-03-2.jpg)
この勘違いの原因は、ひらめきに実体がないことによります。
実体がないがゆえに、あまり深く考えず「才能」という言葉で片付けてしまいがちなのです。
しかし、これでは数学が苦手な人は一生苦手なままです。それどころか、数学が得意だった人が苦手に転落してしまう可能性もあるのです。
中学では得意だった数学が、高校で転落した理由
「中学まで数学は得意だったんです」
これは、入塾時の面談でよく聞く言葉です。
高校入試のときは、スラスラと数学が解けていたし、中学のときは簡単に解法が思いついて、ひょっとすると解法よりも答えが思い浮かんだりしたのに、高校になると全然解けなくなってしまった。
得意だった数学が、苦手に転落してしまったぁ~。
実は、筆者も高校時代この苦手転落組の一人でした。
そして、この転落の原因がまさに『ひらめき!』の勘違いだったわけです。
勘違いの原因…中学数学は高校数学と比べてシンプル
まず、中学数学と高校数学を比較すると、当たり前のことではありますが、中学数学の方がシンプルです。具体的に単元別に見ていきましょう。
中学数学の特徴
- 方程式の文章題では、方程式の立式はほぼ一回です。(連立方程式は一回とみなしましょう)
- 図形の問題では、その性質上、複数の解法が存在しますが、その処理に関しては、円周・面積・体積公式、三平方の定理、角度に関しては、ほぼ加減(足し算と引き算)で解決することができます。(乗除がある場合も角度に対して一桁の整数の乗除程度)
- 関数の問題では、代数の処理は一回、あとは数回の代入処理で解くことができます。
もう少しあるかもしれませんが、大体この程度です。
意外と少ないですよね。
したがって、コツをつかめば、公式、定理や解法を当てはめるだけで一撃もしくは二撃くらいで難なく解けてしまい、バンバンバンバン解法が思い浮かんでくることで、「ひらめき!を連発できる俺って天才!」などと勘違いしてしまうわけです。
高校数学の特徴
しかし、高校数学は一筋縄ではいきません。理解するのに必要な定義や、処理に必要な公式・定理が、中学のときに比べて、圧倒的に多いのです。
高校数学の厄介なところは次の2点であると思います。
1.あいまいさが許されない
例えば、英語であれば覚えなければならない単語が大学受験では、何千語、難関大学となると一万語程度も必要な場合があります。しかし、長文問題のときに、もしわからない単語がいくつかあったとしましょう。
そのとき、その長文問題を全く解くことができなくなってしまうのでしょうか?
時と場合によりますが、英語の長文問題では、前後の文脈などから想像して解釈することができることが多々あります。
しかし、数学の場合はこれがほとんど通用しません。
数学では、定義、定理、公式を忘れてしまうと、その時点で答案がストップしてしまいます。また、これらを間違えて覚えていると、正解を導き出せません。なんとなくというウロ覚えは通用しないのです。
2.正確さの繰り返しが要求される
これは、問題文が意図することに対して、それに合った解法を正確に選択しなければ正解を出せない可能性が極めて高いということです。
図形、ベクトル、場合の数・確率については、解法の選択肢が比較的多く、さまざまな別解があったりしますが、関数の問題などでは、解法が一択という場合が多く、その解法を踏み外すと一貫の終わりです。
さらに、高校数学ではこれらの処理の回数が中学のときより圧倒的に多いのですから、高校数学では正確にたくさん覚えた定義、定理、公式を、それらを問題にあわせて正確に組み合わせて、それを何回も何回も何回も何回も・・・・・繰り返して、正確に処理していく。
実は、高校数学は天才的な派手さなどほとんどない、地味な教科なんです。
なんでそんなに厳密なんだよぉ、ちょっとくらいあいまいでもいいじゃん!
と思うかもしれませんが、 例えば図形の分野の一部は、古今東西を問わず測量学に発展し、また測量学からフィードバックされています。
この分野(測量学)が曖昧だと・・・
・・・・・あなたの家が・・・・
・・・・・高層ビルが・・・・・
・・・・・橋が、道路が・・・・・
あらゆる建物、構造物が・・・・
・・・・・崩壊してしまいますね。
だから、数学はあいまいさが許されず、正確さの繰り返しが要求されるのです。
それを勘違いして、天才的なひらめきの一撃で解こうとしてしまうと、中学のときはできたのに、高校になると全く数学ができなくなってしまう…ということが起きるのです。
-08-2.jpg)
いよいよ核心へ!ひらめきの正体とは?
ここまで読んでいただいた方なら、少しずつひらめきの正体が掴めてきたのではないでしょうか?
さて、筆者が考えるひらめきの正体を言語化すると次のようになります。
ひらめき!とは、『与えられた問題に対して、自分自身の中に蓄積された経験や知識を正確に結びつけて解決していくこと。』
イメージとしては、次のイラストのようになります。
-04-2.jpg)
つまり、決して無から有を生み出すものではなく、自分自身の中にある経験や知識を活かしていくものなのだと考えています。
高校数学の問題を解くためには、このひらめきを正確無比に繰り返し発動する必要があります。ですから、数学の問題でひらめくためには常日頃から学校や塾の授業で新たに得た知識や経験を自分自身の中で整理し、定着させておくことが必要です。
この作業が無意識にできている場合もありますが、数学ができなくなってしまった場合はこの作業を意識して、ひらめくための訓練をする必要があると思われます。
ひらめきの訓練 ~『ひらめき!』を手に入れるために~
どのようにすればひらめきを手に入れることができるの?
ひらめきを手に入れるには、どんな訓練をすればいいの?
筆者の言う『ひらめき!』とは、『与えられた問題に対して、自分自身の中に蓄積された経験や知識を正確に結びつけて解決していくこと。』ですから、必要なことは次の3つになります。
- 自分自身の中に正しい経験や知識を蓄積させること
- 蓄積した経験や知識を問題解決に対して正確に結びつけること
- 自分で解決できないことは他力本願
自分自身の中に経験や知識を蓄積させること
「教科書に書いてある定義、定理、公式をマルマル全部覚えるってこと?大変!」
と思われるかもしれませんが、実は・・・・それだけでは十分とは言えません。
これらを十分に実現するための訓練として、できうる限り定理、公式の証明に挑戦することをおススメします。なぜなら、公式、定理のマル覚えはウロ覚えに繋がっていくからです。
みなさん、おぼえがありませんか?
定期テスト前にマル覚えした定理、公式が、
・・・テスト後に頭の中から消え去ってしまった。
・・・模試のときになかなか出てこない。
-07-2.jpg)
そうなると、全国模試で点数を取ることができませんし、受験前にすべて復習するとなると物凄い負荷になりますね。
-05-3.jpg)
定理、公式を証明することの利点は、
- その仕組みを根っこから理解し、その理解を定着させること
- 受験前の復習の負荷を下げること
などがあります。
「証明なんて面倒くせぇ~」って思うかもしれません。
実際、面倒臭いうえに労力も要するのですが、それを初めの段階でやっておくことによって、復習の手間を省き、受験勉強において、むしろ省エネになるわけです。
蓄積した経験や知識を問題解決に対して正確に結びつけること
せっかく労力を使って定着させた公式もどのような場面でどのように使ったらいいのかがわからなければ、全く意味がありません。
問題文をしっかり読んで、その問題の解決に対して定理、公式を正しく選択し、正しく使う必要があります。けれども、それが初めからできる人なんていませんよね。
初めは、みんな間違えます。私もそうでした。ですから、「間違えた後にどうするか」ということが大切になります。どうして間違えたのか?定理、公式の選択ミス?問題の解釈ミス?
などなど、できるだけ細かく分析し、正しい選択を覚えなおし、定着させる必要があります。
そこで、オススメする訓練が解答の自力復元です。解答に書いてある字だけを写すのであれば、全く意味がないのですが、解答に書いてある言葉、式、その構成の仕組みをしっかりと確認しながら解答を復元していくことは、定理、公式を正確に結び付けて問題解決するための訓練として、とても大きな意味があるのです。
-06-3.jpg)
もし自力で復元できなければ、初めは解答を見ながらでもいいので、正しい解法を頭にインプットして、いずれは自力で解答を復元できるようにすればよいでしょう。
それに、考えてみてください。
解いたことのある問題の解答を復元することができないのに、その類題を解けるようになることがあるでしょうか?
以上の理由から、
蓄積した経験や知識を問題解決に対して正確に結びつける訓練として、「解答の自力復元」をオススメします。
自分で解決できないことは他力本願
自分で解決できないものはドンドン他力を使っていいのです。ここで言う他力本願というのは、教科書、参考書、問題集の解説などの紙媒体とスマホなどのメディアによる解説動画や学校の先生や我々塾講師への質問などです。
これについては、とくに訓練というものはありません。必要なのは、自らドンドン調べたり、質問したりする積極性です。
やってはいけない質問の仕方
けれども、絶対にやってはダメ!な質問の仕方があります。それは…
- 答えだけを聞く
- 自分で解決できるはずの問題を諦めて人に教えてもらう
- 解答を一通り聞いてなんとなく理解した気分になる
- 理解した振りをする
自分で解決できるものを他力に頼っていては、自力で解決できるものもできなくなってしまいます。また、自分で解決できないものをそのままにしておいても、いつまでたってもできるようになりません。
他力本願の目的は、自分だけでは解決できないものを解決するということなのです。
筆者が考える最高の質問の仕方
ですから、学校の先生や我々塾講師への質問も、自分で解決できないものを解決できるように質問することが肝要です。
例えば、
「この問題の解答のこの式って、どういう意味があるんですか?」
「この定理、公式を使う理由って、何ですか?」
「この問題の問題文のこの部分の意味って何ですか?」
「模範解答とは違う解き方をしたんですけど、これってどうですか?」
というように、その問題を解き、さらに解答復元を試みた上で不明な点を聞いてくるという質問が筆者的には最高の質問だと思います。
-09-1.jpg)
自分自身の中に経験や知識を蓄積させ、蓄積した経験や知識を問題解決に対して正確に結びつけるためには、あなた自身の納得が必要です。
納得できないことがあれば、どんどん我々塾講師のところへ質問に来てくださいね。
最後に
みなさん、いかがでしたか?
筆者としては、ひらめき!の勘違いを理解してもらうことで、
「高校数学って、選ばれた天才のための教科ではないんだ。」
「数学苦手だったけど、ちょっと頑張って挑戦してみよう!」
と思っていただければ幸いです。
そして、『ひらめき!』の訓練として、定理、公式の証明や解答復元をしているうちに、できなかったことができるようになったり、知らなかったことを発見したり、さらに『ひらめき!』を安定して繰り出せるようになると、もしかすると、苦手だった数学が好きになってしまったり・・・・ということもあるかもしれませんね。