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数学・物理学の偉人シリーズ 第一回 シュリニヴァーサ・アイヤンガル・ラマヌジャン ~情熱と努力が人生を切り開く~

2023年1月25日算数・数学,コラム数学,コラム,偉人

皆さん、数学の魔術師と言われるインドの数学者「シュリニヴァーサ・アイヤンガル・ラマヌジャン」をご存じですか?

数学・物理の偉人と言えば、古くはピタゴラス、アルキメデス、エラトステネスにはじまり、関孝和、ガリレオ・ガリレイ、アイザック・ニュートン、シャルル=オーギュスタン・ド・クーロン、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ、ダニエル・ベルヌーイ、ピエール=シモン・ラプラス、マイケル・ファラデー、ヨハネス・ケプラー、レオンハルト・オイラー、カール・フリードリヒ・ガウス、アルベルト・アインシュタイン、ジョン・フォン・ノイマン、リチャード・フィリップス・ファインマン、スティーヴン・ホーキング・・・などなど。

数多の偉人がいるなかで、シュリニヴァーサ・アイヤンガル・ラマヌジャンはあまりなじみのない数学者かも知れません。

ラマヌジャンは約100年前の人物ですが、彼の発見した数学公式はその証明において、つい最近まで現代数学者を悩ませ、「相対性理論はアインシュタインがいなくても数年以内に誰かが発見しただろうが、ラマヌジャンの見つけた公式は彼が死んで100年経った今でも誰も発見できなかっただろう」とも言われています。

とはいうもののシリーズの(予定)第1回目から、あまり知られていない人物ですが、彼ほど天才的で知れば知るほど魅力的で興味をそそられ、その生き様がドラマチックで私たちの心を動かさずにはいられないであろう数学者はいないと思います。

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ラマヌジャンについて ~ウィキペディア引用~

 それでは、まずラマヌジャンについてウィキペディアの内容を引用、要約しながら紹介していきます。(興味のある人はウェブで検索してみてください。)

ラマヌジャンは、1887年、インドで生まれました。高校では全科目で成績が悪く、高等数学の正式な教育は受けていません。しかし、15歳のとき、『純粋数学要覧』 (Synopsis of Pure Mathematics) という受験用の数学公式集に出会ったことで数学に没頭します。

奨学金を得て大学に入学しましたが、数学に没頭するあまり他科目の授業に出席しなくなり、学位認定試験に落第し、次の年度も再び落第したため、奨学金を打ち切られて学位を得ないまま中途退学します。しばらく独学で数学の研究を続けていましたが、やがて港湾事務所の事務員の職に就き、そこで上司の理解もあって、仕事を早めに終えて数学の研究に没頭していました。

その後、周囲の勧めもあって、イギリスの大学の教授に研究成果を記した手紙を出しますが、黙殺されます。しかし、ケンブリッジ大学のゴドフリー・ハーディ教授は、手紙の中に「この分野の権威である自分でも真偽を即断できないもの」「自分が証明した未公表の成果と同じもの」がいくつか書かれていたため驚愕するようになり、1914年にラマヌジャンをケンブリッジ大学に招聘します。渡英後、ラマヌジャンはハーディとの共同研究に没頭するあまり、30時間休まずに研究して20時間眠り続けるというような不規則な生活を続けていたことなどから、身体的な衰弱を来たし病気を患ってインドに帰国、1920年に病死しました。

ラマヌジャンの功績は、渡英後に発表した40編の論文の他に、渡英前の数学的発見を記したノートが3冊、帰国後に記された「失われたノートブック」が残っています。ただし、大学で系統的な数学教育を受けなかったため、彼は「証明」という概念を持っておらず、得た「定理」に関して彼なりの理由付けをするに留まっていました(寝ている間にナーマギリ女神が教えてくれた、など)。共同研究を行っていたハーディも、彼の直感性を損ねることを恐れて証明を押し付けることは避け、朝ラマヌジャンが持ってきた半ダースもの「定理」を1日かけて証明するという方法をとりました。一方、明確な証明をしないラマヌジャンの業績は理解されにくく、彼が26歳までに発見した定理に関して、その後多くの数学者の協力で証明が行われました。その作業が完了したのは1997年、「ノートブック」と「失われたノートブック」の全文が出版完了したのは2018年です。

と、ここまでが、ウィキペディアの引用要約です。

ラマヌジャンの真の凄み

なかなか注目しどころの多い文章でしたね。皆さんはここまでの文章でどこに注目しますか?

「他科目の授業に出席しなくなり」とか

「大学で系統的な数学教育を受けなかったため、彼は「証明」という概念を持っておらず」とか

「寝ている間にナーマギリ女神が教えてくれた」あたりでしょうか?

確かにそれは、ラマヌジャンが他の数学者と異なる魅力的な一面であり、魔術師と呼ばれた一因だと思いますし、私も含め誰もが注目する部分です。好きなことだけしてればいいんだ~とか、証明できなくたっていいんじゃん!とか、才能があるっていいなあ~とか、睡眠中に女神が教えてくれるなんて、楽ちんでいいなあ~なんて思う人もいるかもしれません。

 しかし、私はその部分よりも、

「しばらく独学で数学の研究を続けていました」

「上司の理解もあって、仕事を早めに終えて数学の研究に没頭していました」

「周囲の勧めもあって、イギリスの大学の教授に研究成果を記した手紙を出す」

「研究に没頭するあまり、30時間休まずに研究」

「帰国後に記された「失われたノートブック」」

という部分に注目します。この部分に、ラマヌジャンの真の凄み、燃え滾る情熱と純粋さを垣間見ることができると思います。

独学で数学の研究を続けるなんて普通はできません。ほとんどの人は勉強することすら嫌いなのに・・・しかも、30時間も連続で・・・。寝ている間にナーマギリ女神が教えてくれると言ってますが、眠っている間も数学のことがずっと頭から離れないという証拠です。(ちなみに、ナーマギリ女神とは日本では七福神の一柱である弁才天(弁財天)、いわゆる弁天様です。芸術、学問などの知を司る女神だそうです。)

さらに、周りの人までも動かしてしまうのです。一生懸命数学の勉強をやっているからといって、仕事を早めに終わらせてくれる上司なんていません。どんなに優しい上司でもあり得ないです。周囲の人がジャニーズ事務所に勝手に履歴書を送ったということは聞いたことがありますが、研究成果の手紙を大学教授に出すというのは聞いたことがありません。ジャニーズならイケメンは見た目で判断できますから、そういうこともあり得ますが、数学の研究成果は普通の人には容易に判断できないものです。例えば、

これは、ラマヌジャンが発見した円周率(3.14・・・・・)の公式です。なんか凄そうですが、「何これ?」と思う人がほとんどだと思います。もしかしたら、「気持ち悪い」と思う人もいるかもしれません。これを見て周囲の人たちが「ラマヌジャンを何とかしてあげよう」と思ったということは、ラマヌジャンの才能ではなく、物凄く純粋に一生懸命に数学に取り組む姿勢に心を動かされたのだと思います。

ラマヌジャンは幸せだったのか?

ラマヌジャンは、イギリスに渡ったがために体調を崩し、4年でインドに帰り、それから2年で病死してしまいます。イギリスに行かなければ、もっと長生きできたでしょう。また、証明ができないということは、学会で相当の批判を浴びたはずです。おそらくそれは、時代が時代だけに、パワハラや人種差別も含む強烈なものだったと思われます。(私も何回か学会で発表をしていますが、証明、証拠がないものは発表できませんし、「寝ている間に女神が教えてくれた」などは研究者として致命的な発言になる可能性が高いです。)それならば、数学なんかしなければ良かったし、一生懸命やったことも全部無駄じゃないかと思う人もいると思います。

 しかし、ラマヌジャンは幸せだったと私は思うのです。批判や差別は当然物凄く辛かったと思いますが、ハーディとの共同研究に楽しさを越えた充実感があったのだと想像できます。その証拠として、ラマヌジャンは30時間も眠ることなく研究し40編の論文と3冊のノートブックを残し、さらに体調を崩しインドに帰った後のおそらく病床に伏していたであろう2年間も数学の研究に没頭し、その証明に2018年まで時間を費やす「失われたノートブック」を残しています。また、ラマヌジャンの死後も、ハーディをはじめとする数多の数学者がラマヌジャンの発見した公式を証明し、それが現代において科学技術の発展に大いに寄与しています。

ラマヌジャンの生涯から学ぶべきこと

 ラマヌジャンの生涯から学ぶべきことは、純粋な一生懸命さと情熱です。確かに、「魔術師」と呼ばれ、「すべての自然数は彼の個人的な友人である」と言われるほど才能があったことは否めません。しかし、その才能だけで歴史に名を残す偉業を成し遂げたわけではないと思うのです。

 そして私が受験生の皆さんにお伝えしたいことは、受験勉強に一生懸命取り組んでみてほしいということです。そうすれば、テストの点数が上がり志望校に合格するだけでなく、周囲の人たちのあなたに対する評価も変わります。今よりもっとあなたに協力してくれるようになり、あなたにとってかけがえのない存在になるかもしれません。それこそが受験勉強によって得られる一番大事なものなのかもしれません。

最後に、もう一度ウィキペディアからの抜粋です。

ハーディは1点から100点までの点数で数学者をランク付けしていた。それによると、ハーディ自身は25点、リトルウッドが30点、ヒルベルトが80点、そしてラマヌジャンが100点だった。ハーディは謙遜して自分をわずか25点にしか評価していないが、ラマヌジャンに100点を与えたのは、彼の業績に対してハーディが抱いていた尊敬の度合いを表している。

※ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディゼータ…イギリスの数学者。関数の零点分布や近似関数等式、加法的整数論での円周法、ディオファントス近似などに著しい業績がある

※ジョン・エデンサー・リトルウッド…イギリスの数学者。1928年から1950年までの間ケンブリッジ大学で教鞭を取り、1929年にはロイヤル・メダルを授与された。またシルヴェスター・メダルを1943年に、コプリ・メダルを1958年に授与されている。1941年から1943年までロンドン数学会の学会長を務め、1938年にド・モルガン・メダル、1960年にシニア・ベリック賞を受賞。

※ダフィット・ヒルベルト…ドイツの数学者。「現代数学の父」と呼ばれる。不変式論、抽象代数学、代数的整数論、積分方程式、関数解析学、幾何学の公理系の研究、一般相対性理論など業績は非常に多岐にわたる。

きっと、ラマヌジャンを支援したハーディにとっても、ラマヌジャンはかけがいのない存在だったのですね。

参考 および もっとラマヌジャンを知りたい方へ

映画 :「奇跡がくれた数式」

書籍:   ロバート・カニーゲル『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』(工作舎)

その他ウィキペディアやYouTube動画など多数あります。「ラマヌジャン」で検索してみてください。

プロフィール/総研学院空港通校_佐野先生

高校・大学7年間ボート部に所属。大学院博士課程(農業土木専攻、中退)、ベンチャー企業でのサラリーマン(営業、企画など)を経て、地元松山にて塾講師に。

担当講座は、一斉指導では高3理系二次対策数学(医歯薬難関向け)、高3文理二次対策数学ⅠAⅡB、高3共通テスト対策(数学ⅠA、ⅡB、)、高2数学、高1数学。個別指導では、高校生は数学、物理、小論文、中学生は全科対応。

趣味は読書、買い物、食べ歩き。

憧れのスポーツ選手:武田大作(漕艇)

憧れの学者:リチャード・フィリップス・ファインマン(物理学者)

好きなバンド:サンボマスター

好きなミュージシャン:山口 隆(サンボマスター:ギター&ボーカル)

好きな曲:「できっこないをやらなくちゃ」(サンボマスター)

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