興味の芽を摘まないで!子どもの意欲・好奇心を引き出す、親の心構えとは?
勉強の入り口を探る~すべては興味に帰結する~
勉強の入り口は興味そのもの
いきなりですがモネをご存じですか?
『睡蓮』?―正解です。
『笛吹の少年』?―それはマネです。別人です。
ではルノワールはどうでしょう?
マリー・ローランサンはどうでしょう?
カンディンスキーは?
・・・だんだん訳が分からないという声が聞こえてきそうですね。
それでは、思い切って方向転換をしてレヴィ=ストロースならば?!
・・・まぁ、無理ですよね。何の話をしているんだ、とそろそろお怒りになられそうです。
(前半5人は画家、後半1名は哲学・社会人類学者)
つまり何が言いたいかと言うと・・・
興味がないものは知らない(知られない)し、理解しようとして理解できるものではない!
ということです。
どの教科・勉強でもそうなのですが、子供の(時にはもちろん大人も)純粋な勉強の入り口は
「興味そのもの」であると考えます。
皆さんも思い起こしてみてください。
今現在、自分が大好きなものの始まりはどこだったかを。
昔好きだった、とにかくコレクションしたあれの入り口はどこだったかを。
ひょっとしたらそれは誰かから勧められたものかもしれませんし、
ふらりと立ち寄った店での偶然の出会いだったかもしれません。
或いは自分の意志で調べてのめりこんだのかもしれませんし、
場合によっては否応なしに直面したものだったのかもしれません。
しかしながら、いずれにせよそこから興味を惹かれ、今の(或いは昔の)皆さんを形成しているわけです。
・・・ということは、我々がしてはいけないことが何なのか、はっきりと見えてきます。
それは・・・
興味の芽を摘み取ることです。
気になるものすべてが「勉強」につながる
―どれも大いに結構です。
何でも構いません。その人の頭と関心の中に入り、興味になりさえすれば、どれでも正義なのです。
特に「勉強」というものは、社会の中で生きていくのに役に立っていく、役立たせるものです。
ということは、周囲のもの全てが、気になるもの全てが、どうでも良い雑学やうんちくの全てが「勉強」につながるのです。
だから、目の前にいる子供の、または友達の興味の芽を摘み取ることをしてはいけません。
もちろん倫理に反することや、明らかに不適切なことに手を出そうとしている場合は別です。
しかし、まっとうな理由から興味を持っているのであれば、ぜひ応援をしたり、一緒になって頑張ってみたりすることをお勧めします。
また同時に、興味の芽を摘まれそうになっているあなたは、それに負けてはいけません。
例えば「私は今すぐ世界一周へ行って見聞を広めたいんだ!」と思っていても、
お金や人間関係が問題になるでしょう。それは仕方ありません。
しかしながら、別の形でその興味を「培養していく」ことはできるはずです。
何のためのデジタル社会ですか、現地の風景や生活はすぐに見られます。
大きな本屋へ行けばプロの写真家が撮った美麗な、それこそ人々の生の息遣いが聞こえてきそうな本も手に入れられます。
いつかあなたが実際に体験するそれのため、「培養液」はすぐそこに転がっているのです。
挫けて折られかけた興味の芽を、自分自身で最後にへし折り切ってしまわないよう、自分の心を強くしておかなければなりませんね。
・・・さて、ではここまで来るともう1個の問題があります。
興味はどうやったら湧いてくるのか?
特に小さなお子様をお持ちの方は思うところがあると思います。
お子様のために何かを習わせたり、どこかへ連れて行ったり、体験をさせてみたり。
しかしながら、身体を動かすことならともかく、勉強の事となると・・・と言う感じですよね。
ただ、これって比較的簡単な答えではないでしょうか?
なぜなら、先ほどの文も「習わせ」「連れて行って」「体験させて」と、全てこちらが主体になっており、客体であるお子様が登場しません。
つまり、セールスマンである皆さんが、お客様であるお子様への売り込みに失敗している、ということです。
では、何が足りないのか?
ずばり 興味 です。
この場合の興味は、売り手側=皆さん側の興味です。
―お子様にピアニストになってほしい!
では、皆さんはピアノについてどれだけ知っていますか?
楽器なのは誰でも知っているでしょう。
では、その楽器はどんな音を奏で、どんな人たちがどのように発展させ、どんな要素があるのか!
何が楽しくて、何が素晴らしくて、逆に何はダメで、どうしてあなたは好き(嫌い)なのか!
・・・全てをお客様に披露する必要はありません。
ただ興味があって知っていればいるほど、相手に伝える適切な言葉選びができ、情報の出し入れが可能です。
そうやって売り手側が興味(知識)を提示することで、買い手側も興味をそそられるわけです。
周囲の人が興味を示さないものを勧めても興味は起こりません!
これは我々のような、教師や先生と呼ばれる職業人への戒めでもあります。
相手に興味を持ってもらいたければ、自分自身が興味を持つことが重要です。
そこが上手くいけばきっと、目の前にいる人に興味を持ってもらえる日がいつか来ることでしょう。
最後に、何かと引き合いに出される北欧の教育で、個人的に気になったものをお伝えします。
興味・意欲を出させる~北欧の教育~
子供とゲームをして、子供が負けると癇癪を起すことがありますよね。
だから我々はわざと負けてあげて、子供を良い気分にしてあげる…。
ただ、これも「あげる」という言葉の通り、子供が主体になりません。
ということで、そこで大人げない大人になってきっちり勝利するのだそうです。
某元プロテニスプレイヤーの方のようですね。
その時に負けた「悔しさ」をきっちりと出させ、負けたときにどのような態度をとることが是なのかを教えます。
もちろん、勝ったことを自慢するのではなく、お互いの良い点を褒めたたえ、「次こそは勝つ!」という思いを出させるのだとか。
結局、これも興味の問題になるかと思うのです。
相手に興味(この場合は意欲の方が近いですが)を持たせ、また自分もそのために興味を持って接することによって成長していく。
そしてこれがいずれ勉学への入り口になるのでしょう。
まとめ
今回は、興味を持つことが勉強に繋がるというお話しをさせていただきました。
興味を持ったこと、気になるもの全てが「勉強」につながるということ。
そして興味を持ってもらいたければ、自分自身が興味を持ち、相手に伝えるということが大切です。
目の前にいる子供の「興味の芽を摘み取ること」をしないように気をつけたいものですね。
お子様が興味を持っているのであれば、ぜひ応援をしたり、一緒になって頑張ってみたりすることをお勧めします。
末筆ですが拙文にお付き合いいただき、ありがとうございました。